女性差別に気が付いた日のこと
私が、日本に女性差別があることに気づいたのは、大学生の時だった
大学在学中に、フェミニズムを勉強する機会があって、生まれて初めて女性学というものを学んだ
教科書は、We should all be feminists. 「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」という本だった
一人予習をした時、これは私のことを書いているのか?と衝撃を受けたのを今でも覚えている
私には以前、一年間付き合った彼氏がいた(初めての彼氏だった)
彼は同じ大学で、キャンパスから徒歩5分のところで一人暮らしをしていた
遠い実家から学校に通っていた私は、よく彼の家に泊まりに行っていた
彼はバイト人間で、私は合鍵を持っていたから、彼がバイト中に家にあがることが多かった
私は、よく彼の部屋を掃除をした
彼は食べた後のお菓子の袋や、カップ麺のゴミをテーブルの上に何日も放置しておくような人で、私は人並みにきれい好きなので、放っておくのは耐えきれなかった
また、料理の材料もスーパーに一人で買いに行き、ご飯を作り、片付けもいつも私が担当していた
彼は私が言わなければ材料費も払おうとはしなかった
彼は、ご飯は美味しいと言って食べていたが、私が家事をして当然といった態度だった
私は苦しかった、でもどうして苦しいのか分からなかった
彼に相談するという発想はなかった
文句を言って、嫌われたくなかった
でも一度だけ、勇気を振り絞って、私はあなたのお母さんでも家政婦でもない!と伝えたことがあった
その時の彼は、甘えたような声で、そんなこと言わないでよ、と言っただけだった
私はその時全てを諦め、抗議することをやめた
男性読者さんは、嫌なら断ればいいだろ。なんで文句を言わないんだ。我慢するのが悪い。そう思うかもしれない
もしくは、女が家事をするのは当然だ。女は男の世話をするもの。俺もそんな便利な彼女が欲しいなあ。なんて思うかもしれない
私が、彼に反抗しなかった理由、同時に訳のわからない苦しみを抱えていた理由は、私の両親にあると思う
私の父は、家事なんて一切しない人だった
母は、それを当然だと思っていて、自分もパートとして働いているにも関わらず、全ての家事・子育てを引き受けていた
そんな両親を見ていた私は、女が家事や子育てをするものだと、刷り込まれていたのだ
父は、仕事から帰ってきたら寝転がってテレビを見ているか、新聞を読んでいた
一方母は、疲れているだろうに、帰宅後すぐに夜ご飯の準備をしてくれた。もちろん片付けも母の仕事だった
父が食器を並べたり、運んでいるところを一度も見たことがない
こうして価値観を刷り込まれた私には、彼に抗議するなんて発想はなかった
なぜなら、私自身もまた、家事は女がするものだと思っていたからである
でも苦しかった。それは、どこかで現状がおかしいと思っている、自分からのサインだったのだと思う
つまり、私は、知識がないときは、差別されていることを自覚できなかったということだ
フェミニズムを学んで初めて、あの時の苦しみは、女性差別によるものだとわかった